ライオンズクラブにまつわる

エピソード〈4〉



アフガン難民への支援

(333B地区キャビネット)

 2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルはハイジャックされた旅客機の激突により破壊され、多くの人命が失われ、我々333-B地区キャビネットも、アメリカへ支援金を送りました。アメリカは早速アフガニスタン(アルカイーダ政権)へ空爆を行ない、大量のアフガン難民が発生しました。多くの難民が寒い冬を越せるのかが心配されるとき、ライオンズ国際本部からは何の要請もありません。333-B地区では、ライオンズのメンバーから、アフガン難民へも支援しないのでは片手落ちではないかと、意見が出され、第2回キャビネット会議でアフガン難民支援を行おうという動議があり、全員の賛成により、以下のような支援を行いました。(動議は10Rの阿部喜好RCより提出されました。)

 収集期限は 2001年12月20日(木)を期限として、各クラブ毎に集めたものを、キャビネットで収集して、神戸からNGOを通して、パキスタンのカラチへ贈りました。送料は、キャビネットの緊急援助資金で負担いたしました。毛布・セーター・ジャケット・ジャージー・スニーカー等、89,489立方メートル1,000箱以上集まりました。90クラブがご協力していただきました。なかには、矢板及び宇都宮マロニエクラブのように100箱以上ご協力頂いたところもありました。